三島由紀夫と唯識


三島由紀夫の最後の作品となった『豊饒の海(ほうじょうのうみ)四部作は唯識をモチーフの一つに取り入れている。 第四部「天人五衰(てんにんのごすい)の最終回入稿日に、三島は陸上自衛隊 市谷駐屯地で割腹自決三島事件)した。



澁澤龍彦(しぶさわ たつひこ)は、三島が唯識論に熱中していたことを『三島由紀夫をめぐる断章』で触れ、唯識論とは何かを三島に問われた宗教学者の松山俊太郎(まつやま しゅんたろう)が「あれは気違いにならなければわからない、正気の人にわかるわけがない。唯識説のよくできているところは、ちょうど水のなかに下りていく階段があって、知らない間に足まで水がきて、知らない間に溺れているというふうにできている。それは大きな哲学の論理構造であり、思想というものだ」と言った話、それを聞いた梅原猛(うめはら たけし)が「感心している三島も三島だが、こんな馬鹿げた説を得々として開陳している仏教学者もないものだ」と批判した話に触れている。また、澁澤宅を訪ねた三島が、皿を一枚水平にし、もう一枚をその上に垂直に立てて、「要するに阿頼耶識というのはね、時間軸と空間軸とが、こんなふうにぶっちがいに交叉している原点なのではないかね」と言うので、「三島さん、そりゃアラヤシキではなくて、サラヤシキ(皿屋敷)でしょう」とからかった話も紹介している。