唯識 識と存在
唯識といって、以上のように唯八識のみであるというのは、一切の物事がこの八識を離れないということである。八識のほかに存在(諸法)がないということではない。おおよそ区分して五法(五種類の存在)としている。(1)心、(2)心所、(3)色、(4)不相応、(5)無為である。この前の四つを「事」として、最後を「理」として、五法事理という。
1 心(しん。心王(しんのう), citta)
- 識それ自体。心の中心体で「八識心王」ともいわれる。
2 心所 (しんじょ。Caitasika)
- 識のはたらき。心王に付随して働く細かい心の作用で、さらに6種類に分類し、遍行(へんぎょう)・別境(べっきょう)・善(ぜん)・煩悩(ぼんのう)・随煩悩(ずいぼんのう)・不定(ふじょう)とし、さらに細かく51の心所に分ける。心所有法(しんじょうほう)、心数法(しんじゅほう)とも訳される。
3 色 (しき。Rūpa)
- 肉体や事物などのいわゆる物質的なものとして認識される、心と心所の現じたもの。
4 不相応行 (ふそうおうぎょう。Viprayukta-saṃskāra)
- 心と心所と色の分位の差別。心でも物質でもなく、しかも現象を現象たらしめる原理となるもの。
5 無為 (むい。Asaṃskṛta)
- 前四法の実性。現象の本質ともいうべき真如。
さらに心を8、心所を51、色を11、不相応行を24、無為を6に分けて別々に想定し、全部で百種に分けることから、五位百法と呼ばれる。なお倶舎論では「五位七十五法」を説いており、それを発展させたものと考えられる。