日本における唱導 歴史 普通唱導集と神道集


鎌倉時代後半の13世紀末葉には『普通唱導集(ふつうしょうどうしゅう)が編まれた。これは、昭和初年に東大寺で発見された唱導のテキストであり、永仁(えいにん)5-6年(1297年-1298年)ころに良季(りょうき)という僧によって起稿されたものであるが、当時のあらゆる仏事法会を想定したものであり、型どおりの教理だけではなく、当時の社会秩序や職業等に多くの紙幅を割り当てており、仏教史のみならず中世の社会文化民俗における文献資料としても注目される。このテキストでは、唱導本来の表白体や願文体が記されている。



民間宗教家による唱導はまた、多くの語りものを生んだ。唱導が半僧半俗の下層の人びとによって担われてくると、唱導家のしごとも地方の人びとの口碑(こうひ)伝説を収集する活動を包含するようになる。南北朝時代の成立と考えられる安居院流(安居院唱導教団)による『神道集(しんとうしゅう)は、こうした説話を含めた唱導のテキストの集大成と考えられ、安居院流が聴衆に対し神仏の縁起本地垂迹を語ったことをしめしている。『神道集』に収録された説話の約半数は、上野国信濃国を中心として東山道北陸道の諸地域における伝説・神話といった口承であり、安居院唱導の活動が京都から東国・北陸への往還に沿うものであったことを裏づける。そしてまた、文学史的にみれば、『神道集』は室町時代御伽草子説経節の先駆的性質を有しているとも指摘されるのである。