日本における唱導


日本古代の教化僧はよく唱導をおこなった。狭義の「説教」では、仏教の教理を説いたが、それは当初、仏典の意味するところを解説する、現代でいうところの法話であった。それに対して、広義の「説教」に属する「唱導」は音韻に抑揚とメロディともない、経典の趣旨を取り出して比喩や因縁話を用いて語ることで人びとを仏教信仰に導いたのである。



唱導は、日本仏教において独特の発展を遂げたが、ことに浄土教系の仏教においては布教の要とでもいうべき重要な位置を占めた。ある種の宗教体験を特に重んじる密教と比較して、浄土門の教義は「語る」「聞く」「共振する」「場を感じる」などの宗教性を重んじたことから、言語に依存する度合いが高かったためと考えられる。そしてまた、信仰の大衆化を進める立場からは、修学僧が法理を講釈するというスタイルではなく、平易な話題を中心に、一定の旋律をともないながら、聴き手の宗教心に直接はたらきかけるようなスタイルが工夫されていった。こうして唱導の技法は、平安時代末期ころから次第に確立されていった。



唱導において節や抑揚をつけるという演出は、話し手と聴き手とのあいだに共振現象が生まれる場を創出させるための工夫でもあった。こうした営為は、他の宗教でも数多くみられる。仏教においても、最初期の段階から「祇夜(ぎや。偈頌(げじゅ))」や「伽陀(かだ)などは節や抑揚をつけて読誦されていた。