説経節の歴史的意義 他の芸能・文芸への影響 



昭和に入って、鷗外原作の『山椒大夫』が1954年(昭和29年)、溝口健二(みぞぐち けんじ)監督作品として映画化され、折口原作の『身毒丸』は寺山修二(てらやま しゅうじ)岸田理生(きしだ りお)の脚本を得て、劇団 天井敷(てんじょうさしき)によって舞台作品『身毒丸』として19978年(昭和53年)に初演されるなど、説経節の演目が新しいかたちでよみがえり、話題となった。また、『小栗判官』は、1982年(昭和57年)に初演された遠藤啄郎(えんどう たくお)脚本・演出の横浜ボートシアターによる仮面劇『小栗判官照手姫』となって大反響を呼び、1991年平成3年)に初演された梅原猛(うめはら たけし)作のスーパー歌舞伎『オグリ』として注目された。



その他、説経節の素材は、日本列島各地で、たとえば瞽女唄として、盲僧琵琶(もうそうびわ)として、あるいは大黒舞(だいこくまい)の歌などとして伝えられた。また、三味線による説経語りは、新潟県佐渡市の説経人形(国の重要無形民俗文化財)、埼玉県横瀬町(よこぜまち)の人形芝居(袱紗(ふくさ)人形、埼玉県指定無形民俗文化財)、東京都八王子市の車人形(選択無形民俗文化財)など各地の民俗芸能として、そのなごりをとどめている。