説経節の歴史的意義 他の芸能・文芸への影響 ①


浄瑠璃と説経節は相互に影響をあたえあい、浄瑠璃作品に多くの素材を提供したのは既述のとおりである。説経節の演目から素材を得た浄瑠璃(文楽)の作品には上述の『摂州合邦辻』のほか『小栗判官車街道(おぐりはんがんくるまかいどう)苅萱桑門筑紫車榮(かるかやどうしんつくしのいえづと)芦屋道満大内鑑「あしやどうまんおおうちかがみ)などがある。元禄期以降の説経節はまた、換骨奪胎されて歌舞伎の演目としても演じられるようになった。




『山椒大夫』は、歌舞伎では『由良湊千軒長者』(ゆらのみなとせんげんちょうじゃ)という演目になったが、現在ではあまり上演されなくなっている。『俊徳丸』は謡曲『弱法師(よろぼし)の題材となっており、さらに歌舞伎・文楽の『摂州合邦辻』に引き継がれ、また、『苅萱』の石童丸の物語は歌舞伎の『苅萱道心』に、『小栗判官』は歌舞伎・文楽の『小栗判官車街道』の題材となっている。

浪花節(浪曲)は、祭文語りと説経節の双方を源流として生まれた語りものといわれ、ちょぼくれちょんがれ浮かれ節なども同系統とされる。浪花節の起源は享保(1716年-1735年)ころに活躍した浪花伊助(なにわ いすけ)であると説明されることも多いが、実際に流行したのは幕末期が最初であるという。



また、落語は説教と説話、講談は説教を源流としており、ともに近世初頭に成立した話芸である。説教(説経)からは節談説経と説経節が派生しているが、説経節における石童丸や小栗判官の話は、講談でも多く取り上げられ、明治大正に至るまで庶民にはなじみ深い話であった。