幻化網タントラ 旧訳 グビヤガルバ・タントラ


グヒヤガルバ・タントラ』(サンワィ・ニンポ gSang ba'i snying po)はニンマ派のマハーヨーガで最も重んじられるタントラであり、幻化網(ギュントゥルタワ sGyu 'phrul drwa ba)タントラ群の中心に位置づけられる。現代の翻訳としては、談錫永の監修による中国語訳『幻化網秘密藏續』や、ニンマ派のミパム・リンポチェ1世(1846-1912)による旧訳への注釈本『大幻化網タントラ釈』の中国語訳『幻化網秘密藏續釋』などがある。



また、このタントラに関する外国人への伝授も多数行なわれていて、1959年4月~7月にかけて行われた、当時、チベット本土からインドへ亡命していたニンマ派の総帥ドゥジョム・リンポチェ2世(1904-1987)による旧訳『大幻化網タントラ』の大灌頂と伝授(全伝)は有名である。この内容は、弟子の劉鋭之(リュウ・ロェチ)によって記録され、1962年に『大幻化網導引法』として出版された。同時期にイギリスでも弟子の John Driver による英訳が出版されたが、こちらは抄訳である。日本人では、1990年-2010年代のインド台湾において、ニンマ派のペノル・リンポチェ(1932-2009)より旧訳『大幻化網タントラ』の大灌頂と、大法の伝授を授かったのが数名、サキャ派のロティン・リンポチェより新訳『幻化網タントラ』の大灌頂と、大法の伝授を授かったのが同じく数名いる。



11世紀以来の新訳派(カダム派、サキャ派、カギュ派)では、このタントラの原典に当たるものがインドに見られないとして、偽経である疑いが呈されてきた。ただし、チベット仏教と敦煌文献の研究者であるサム・ヴァン・シャイクによれば、サキャ派の伝えるシャーキャシュリーバドラの伝記に、当時サムイェー寺にグヒヤガルバのサンスクリット写本があったという証言が記録されている。また、新訳派以前の10世紀頃の敦煌出土写本の中から、このタントラに関連するものが見つかっている。ペリオ蔵849はチベット語とサンスクリット語でタントラの題名を列挙しているが、その中にギュー・サンワ・ニンポ / グイヤカルバ・タントラの名が見える。スタイン蔵540と同332には、グヒヤガルバ・タントラの抜書きと見られる部分や、『シトー』と呼ばれる「寂静・憤怒百尊」に関する儀軌がある。この儀軌は、ニンマ派の伝統的な解釈ではグヒヤガルバ・タントラの第六章の要約であるとしており、この説に基づくとするカルマ・リンパのテルマである独立したテキストは『チベット死者の書』として日本でも知られている。