「准胝法」の特徴 

Ⅲ 『穢跡金剛』が准胝観音の秘密本尊とされる理由はというと、准胝観音の曼荼羅に「訶梨智母将主菩薩」(鬼子母神)が配されるからである。『穢跡金剛』は、「訶梨智母将主菩薩」の子供で、その時の名をマハ・バーラといい、「大力夜叉大将」とも訳される。もとは人間を病気にして命を奪い、その肉体を食べる魔王であったが、母親と同様に仏教に帰依して、一切衆生を守護する大成就者となり『穢跡金剛』と呼ばれるに至った。『穢跡金剛』の梵名はウチュシュマ(Ucchusma)で、訳語には「火頭金剛」の別名を持ち、「金剛童子」として空海の著作にもあらわれるが共に旧訳の名とされる。現在の日本密教では新訳の名前で登場し、「火頭金剛」は天台宗で梵名を音写され五大明王に数え北方を護る「烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)となり、『穢跡金剛』は真言宗で意訳され、同じく五大明王に数え北方を護る「金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)となった。「金剛夜叉明王」は、五大明王として数えられるだけではなく、真言宗の日課経典である『理趣経(りしゅきょう)にも登場する重要な尊格であったが、現在の日本密教では唐密の口伝が絶えており、『穢跡金剛』の出自をはじめ、邪魔の魂魄を消滅させる秘印と瑜伽(ヨーガ)行法については知られていない。なお、『穢跡金剛』の修法類は空海の請来による伝とは別に、北宋時代(960-1127)に江蘇省鎮江市にあった金山寺から日本へ大乗徹通和尚(てっつうおしょう)が請来した伝が、江戸時代に写本を校訂し『釈氏洗浄法』として刊行されている。特筆すべきは、四威儀(しいぎ)の食事(じきじ)の作法における役職としての「火頭」(かず)が刻述されており、これに応じて、『穢跡金剛』の壇法を加筆する際には「火頭金剛」が門神(もんしん)として祀られている点である。