「准胝法」の特徴 ⑥
Ⅱ 唐本『金剛童子随心呪』では、『穢跡金剛』と「火頭金剛」が異なる二つの尊挌として記述されているので、唐代においても、中国密教では既に別の尊格として取り扱われ始めていたことが分かる。なお、『穢跡金剛』は、「大力金剛」(だいりきこんごう。Maha bala:マハ・バーラ)の別名で胎蔵界曼荼羅の金剛手院にも描かれ、後の『幻化網曼荼羅』にも登場する。慈雲(じうん)尊者(1718-1805)の『両部曼荼羅随聞記』には、大力金剛をサットバ・マハ・バーラ(sattva maha bala)として紹介し、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)と大力金剛とは金剛手菩薩の待者であり、とりわけ大力金剛は人々に灌頂の機会を与えて曼荼羅へと導き、顕教から密教へと教え導き、一切の地獄の門を閉じて苦しむ人々を救い、清浄な如来の五智の眼を開かせ、仮の教えを捨てさせて真実の教えを理解させ、心における粗雑な意識だけではなく微細な意識の執着をも打ち砕いて、瑜伽行者を十地の菩薩へと登らしめるとしている。この説を受けて曼荼羅研究で知られる頼富本宏(よりとみ もとひろ)は、五大明王の中心である不動明王に匹敵する尊格とも述べている。