卍 歴史
最も古い卍は、新石器時代のインドで見られる。一方、ドイツのハインリヒ・シュリーマンはトロイの遺跡の中で卍を発見し、卍を古代のインド・ヨーロッパ語族に共通の宗教的シンボルと見なした。
ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の胸の旋毛(つむじ)、仏教では釈迦の胸の瑞相(ずいそう)が由来で、左旋回の卍は和の元といわれ、右旋回の卐は、力の元といわれる。 メソポタミアでも先史時代から見られ、その後アッシュルの新アッシリア神殿に天然アスファルトで描かれている。
漢字
中国には仏典を通して伝わり、シュリーヴァトサの音訳で「室利靺蹉」、意訳で「吉祥喜旋」、「吉祥海雲」などと漢訳された。鳩摩羅什や玄奘はこれを「徳」と訳したが、北魏の菩提流支(6世紀)は十地経論のなかで「萬字」と訳している。また、5世紀に翻訳された長阿含経(じょうあごんきょう)大本経にも仏の三十二相の第十六として「胸有萬字」をあげている。武則天の長寿(ちょうじゅ) 2 年(693年)、「卍」を「萬」と読むことが定められた。吉祥万徳の集まる所の意味である。これにより卍が漢字として使われることにもなったが、熟語(卍巴(まんじともえ)・卍果(まんじか)など)は少ない。
この卍あるいは卐が変化した字が「万」であるとする説もあるが、仏教伝来よりはるか前の戦国時代の印璽(いんじ)に「千万」の合字がしばしば見えているため、この説は疑わしい。『新字源』などでは「万」を浮き草の象形とする。
「卍」の日本における訓読みは「まんじ」であり、「万字」の意である。音は「万」と同じく呉音「マン」、漢音「バン」。現代中国語では wàn と読む。康煕字典(こうきじてん)では「十」部4画に属し、総画数は6画である。
「卍山」で「かずやま」「まんざん」と読む。