六祖壇経 伝来と影響
『壇経』の成立について疑いを抱く人も多い。道元は偽書だと言っている。
同時代すでに、慧能の弟子である慧忠(えちゅう)が「『壇経』は改変された」と憤慨している。改変者はおそらく荷沢神会(かたくじんね)である。神会は慧能の死後もその教えを守ることに務め、南方禅を広めて北方禅(神秀の系統)を圧倒した。
『壇経』は嗣法(しほう。弟子が師の法を継ぐこと)の証として代々伝授され、世には顕れなかった。しかし9世紀以降は一般に広まった。
現在残る本としては大きく分けて、敦煌出土本と、恵昕(えきん)編集本の二つの系統が見られる。時代的には敦煌出土本の方が古いが、内容では恵昕本の方が優れているとの指摘もあり、どちらが本来の形を留めているかいまだ意見の対立がある。前者を荷沢宗(かたくしゅう)、後者を洪州宗(こうしゅうしゅう)の一門の手による成立とする見方もある。
中国語では『六祖大師法寶壇經』と表記される。英語では"Platform Sutra"。Philip Yampolskyによって英訳された。