地獄思想の成立


元々は閻魔大王(えんまだいおう)牛頭(ごず)馬頭(めず)などの古代インドの民間信仰である死後の世界の思想が、中国に伝播して道教などと混交して、仏教伝来の際に日本に伝えられた。




そのため元来インド仏教には無かった閻魔大王を頂点とする官僚制度などが付け加えられた。その後、浄土思想の隆盛とともに地獄思想は広まり、民間信仰として定着した。


大乗仏教が発展すると、地獄は死後に赴く世界と見なされるようになった。


地獄は、日本の文化史の中では比較的新しいもので、これが特に強調されるようになったのは、平安時代の末法思想の流行からのことと思われる。


地獄思想の目的は、一つには宗教の因果応報性であり、この世界で実現されない正義を形而上世界で実現させるという機能を持つ。


神道では江戸後期に平田篤胤(ひらた あつたね)が禁書であったキリスト教関係の書物を参考にして幽明審判思想を考案した。すなわちイエス最後の審判のように、大国主命(おおくにぬしのみこと)が死者を「祟り神」などに格付けしてゆくという発想である。