牛頭天王 歴史 近世・近代
祇園社、天王社で祀られていた。単に天王といえば、牛頭天王をさすことが多い。牛頭天皇と呼ばれることもあり、奈良県や滋賀県域に所在する天皇神社はスメラミコトとしての天皇ではなく牛頭天王が祭神である。天王洲(てんのうず)アイルの「天王洲」など、各地にある「天王」のつく地名の多くは牛頭天王に因むものである。
江戸時代の国学者 平田篤胤(ひらた あつたね)は著書『牛頭天王暦神弁』(ごずてんのうれきしんべん)で天野信景(あまの さだかげ)の牛頭天王辨は偽経であると記述した。
天野信景の牛頭天王辨といふ物尓
牛頭天王出佛説秘密心点如意藏王陀羅尼經
凡天王有十種反身曰武塔天神曰牛頭天王曰
摩羅天王曰蛇毒氣神曰摩那天王曰
曰梵王曰玉女(中略)
天刑星秘密儀軌 有牛頭天王縛撃癘鬼禳除疫難之事 と云り
然れど此は共に一切經藏に載せざれば偽經なる
— 平田篤胤『牛頭天王暦神辯』
織田信長(織田家の紋は祇園神社の神紋(しんもん)と同じ木瓜紋(もっこうもん) 津嶋神社と関わる)が神社破壊をした際に自衛のため牛頭天王が盛んになったとの説を『豊島郡誌』(てしまぐんし。今西玄章(いまにし げんしょう) 1736年(元年))、『摂津名所図会』(せっつめいしょずえ。1798年(寛政10年))が記述した。