仏教における「横難横死」
この言葉を多用した人物として鎌倉時代の法華宗の開祖日蓮が挙げられる。
日蓮は四箇格言(しかかくげん)を掲げて、法華経あるいは南無妙法蓮華経に依らず、邪教(じゃきょう)に依ると、その報いとして横難や横死に遇うと述べた。
たとえば、「一切は現証(げんしょう)には如かず善無畏(ぜんむい)・一行(いちぎょう)が横難横死・弘法・慈覚(じかく)が死去の有様・実に正法の行者是くの如くに有るべく候や」(教行証御書)などと述べて、真言宗などの祖師を否定している。
また、「涅槃経に曰く『横(よこしま)に死殃(しおう)に罹(かか)り呵責・罵辱・鞭杖・飢餓・因苦(かしゃく・めにく・べんじょう・きが・いんく)、是(かく)の如き等の現世の軽報(けいほう)を受けて地獄に堕ちず』等・・・・・・文の心は我等過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが今かへりて信受すれば過去に人を障(ささえ)る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦を招き越して少苦に値(あ)うなり」(兄弟抄)と、横難横死にあうことが過去の謗法の重い罪業を軽く受けている(転重軽受。てんじゅうきょうじゅ)ことになる場合があるなどと述べている。
ただし、非業とは仏教用語で過去世の業因によらないことである。したがって非業の死とは、本来は過去の業因によらずに今生において思いがけずに遭遇した不慮の死をいう。また各種仏教辞典などでも、横死は過去世の業果によらずに命終すること、と定義されている。