浄土真宗 歴史 蓮如の登場まで
親鸞の死後、親鸞の曾孫にあたる覚如(かくにょ。1270年-1351年)は、三代伝持(さんだいでんじ)等を根拠として親鸞の祖廟継承の正当性を主張し、本願寺(ほんがんじ。別名「大谷本願寺」(おおたにほんがんじ))を建てて本願寺三世と称した。こうした動きに対し、親鸞の関東における門弟の系譜を継ぐ佛光寺(ぶっこうじ)七世の了源(りょうげん。1295年-1336年)など他の法脈は、佛光寺や専修寺(せんじゅじ)などを根拠地として、次第に本願寺に対抗的な立場を取ることになった。
この頃の浄土真宗は、佛光寺や専修寺において活発な布教活動が行われ多くの信者を得たが、本願寺は八世蓮如の登場までは、天台宗の末寺として存続していたに過ぎなかった。