無量寿経 経典成立時期と編纂者
「仏説」とは、釈尊が自ら口で説いた教えのことである。しかし、釈尊の在世時から滅後100年頃までは口伝によって教えである「法」と規則である「律」(りつ)が伝えられる。それら「法」と「律」は、「結集」(けつじゅう)によって認証確定されていく。そして滅後100年を過ぎた頃に、「法」を集めた「経蔵」と「律」を集めた「律蔵」が成立したものと考えられる。
成立時期などに関する諸説
仏典研究上では、阿弥陀仏に対する信仰は、客観的な資料がとぼしく諸説存在するが、インドおよび近隣諸国の思想の影響下、「釈尊観の展開によるとする説」が有力である。原始仏教以来の釈尊観の発展、および『無量寿経』の法蔵菩薩説話における仏伝の投影から、浄土教は大乗仏教が伝播するに伴う菩薩思想の深化の中で、釈尊観の展開としたものと考えられる。
o 仏教学者の中村元(なかむら はじめ)は、浄土教・浄土経典は部派仏教がいちおう確立したのちに出現したものとする。140年頃かそれ以前には、『無量寿経』・『阿弥陀経』が漢訳されたとする。
o 信楽峻麿(しがらき たかまろ)は、釈尊入滅から500年前後には大乗仏教が成立したものと考え、『無量寿経』の成立時期について、釈尊入滅後約500年とし、編纂者は不明とする。
o 藤田宏達(ふじた こうたつ)は、原始仏教において、阿弥陀仏、極楽浄土の観念、浄土思想が存在しなかったとする。