宗門改 民衆調査としての側面


兵農分離以後、領主は所領内の人間を把握する手段として、人別改めを行うようになる。これは主に夫役(ぶやく)のために行われ、そのため必要に応じて不定期に行われた。これによって作成された台帳を「人別改帳」と呼ぶ。




幕府は寛文4年に諸藩にも宗門改制度の設置を命じ、そのため各地で毎年宗門改帳が作られるようになる。ただし、宗門改帳の作成は義務ではなく、宗門改帳が発見されない藩や、6年ごとに調査を行っていた藩など例外もある。旗本の知行地など天領では名主や庄屋に五人組の手形を取らせて宗門改帳を作成した。



宗門改帳が全国的に広がるようになると、人別改帳に宗旨を記載する形で、人別改帳と宗門改帳の統合がされていくようになり、「宗門人別改帳」となる。寛文11年に宗門人別改帳法的に整備され、幕府は諸藩にその作成を義務付けた。



結果として、宗門人別改帳は民衆の戸籍原簿や租税台帳の側面を持つようになり、宗門改めはキリシタン摘発の激減もあって宗教政策というよりも民衆調査的な目的を帯びるようになる。享保の改革では、全国的な調査の取りまとめが行われた。