三一権実諍論 法相宗と徳一



日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、入唐求法僧により数次にわたって伝えられている。白雉(はくち)4年(653年道昭どうしょう。629年 - 700年)が入唐留学して玄奘三蔵げんじょうさんぞう。602年 - 664年)に師事し、帰国後飛鳥法興寺(飛鳥寺)でこれを広めた。



徳一は一説には藤原仲麻呂(恵美押勝とも。706年 - 764年)の子といわれるが疑わしい。はじめ興福寺および東大寺修円(しゅえん)に学び、20歳代の頃に東国へ下った。東国で布教に努め、筑波山中禅寺つくばさんちゅうぜんじ。茨城県つくば市)・会津恵日寺あいどえにちじ。福島県耶麻郡磐梯町)などを創建したという。


前述のごとく、徳一の著作はほとんど現存していないため、その生涯は不明な点が多い。