金瓶掣籤 清国への行政法規への組み込み
戦争の戦後処置として、清朝の派遣軍司令官フカンガ (Fukannga, 福康安。)は、相次いで、貿易に関する処置、チベット軍の軍政改革、貨幣鋳造に関する方策、金瓶による化身ラマ認定プロセスへの関与、善後章程六条、善後規定十八条などを上奏し、順次、乾隆帝の裁可をうけた(臣下の上奏文に皇帝が裁可のコメントをつけた段階で法律として発効、原本と写しが北京と現地で保存される。→この段階で本来の「章程」)。
フカンガをはじめとする清朝の文武官吏は、裁可をうけた項目を二十九条に整理してチベット訳し、チベット政府側に伝達した。中華人民共和国の学者たちは、この伝達文書には『中国語または満州語で書かれ、あらためて皇帝の裁可をうけた「原本」』があるはずと考え、いまのところ未発見の「原本」とこの伝達文書をあわせて「欽定蔵内善後章程二十九章」と呼称している。
チベット側への伝達文書には、金瓶と籤による化身ラマの認定に関する記述が第一条に記載されている。
チベットに関する清朝の法令は、モンゴルや新疆、ロシア等に関する諸規定とあわせて整理され、理藩院則例(りはんいん そくれい)として集大成された。