一念三千 成立と背景


この一念三千の教理が完成するまでには背景がある。


天台宗の実質的な開祖は智顗であるが、龍樹(りゅうじゅ)を開祖とし、第二祖を慧文(えもん)禅師、第三祖を南岳思(えし)禅師とする場合もある。そしてその第二祖といわれる慧文が竜樹の中論を読み、一心三願(いっしんさんがん)を会得したといわれる。一念三千は、この一心三観がベースとなっている。

一心三観とは、凡夫・衆生の心にはつねに一瞬一瞬で変化するが、その中に「空・仮・中」の三諦(さんだい)で観ずることをいう。



この件は、天台宗全書9巻によると、慧文禅師は大乗教の肝要を誰を師として学ぶか考え、大蔵経の前で願を発した。手を背にして経を取ればを師とし、論を取れば菩薩を師とすることに決めた。しかし中観論を手にしたので竜樹を師とすることを決めたが、それを読むと因縁所生法、我説即是空、亦名為仮名、亦是中道義の文を見て、その文字の中に不二法門(ふにほうもん)に入り、一心三観の観法を開悟会得し、それを南岳慧思に授けた、とされている。


智顗はこの「一心三観」を前提として十界互具を展開し、それがまた一念三千の思想へとつながっていった。



一念三千が仏法の極理、とまでされるになったのは、智顗から数えて六祖(竜樹から数えると九祖)である妙楽大師・湛然(みょうらくだいし・たんねん)が、「止観輔行伝弘決5」で一念三千が智顗の「終窮・究竟の極説」と配釈し、これを指南とするように説いたことがその始とされる。


なお、一念三千の理論構成の一つである十如是(じゅうにょぜ)は、梵文(サンスクリット語)原典や鳩摩羅什が訳出した法華経以外には見られないもので、鳩摩羅什の意訳であるとされている。

智顗は「十界」という世界観など、後世の仏教界に多大なる影響を与える教学を数多く創始した。その中でも、一念三千は天台宗の教理の中でも極理とされている。しかし、この一念三千は智顗自身は自らの著書である「摩訶止観5の上」でたった一度しか説明していない。したがって仏教学的には、一念三千は智顗が宣揚展開した教理とは考えられていない。