偽経(ぎきょう)

偽経(ぎきょう)、疑経あるいは疑偽経とは、中国や日本などにおいて、漢訳された仏教経典を分類し研究する際に、インドまたは中央アジアの原典から翻訳されたのではなく、中国人が漢語で撰述したり、あるいは長大な漢訳経典から抄出して創った経典に対して用いられた、歴史的な用語である。中国撰述経典という用語で表現される場合もあるが、同義語である。


また、日本人による日本撰述経典の場合も敷衍して偽経ということがある。

沿革

東晋317年420年)の釈道安(しゃく どうあん)314年385年)『疑経録』に始まるとされる、偽経あるいは疑経として認定された経典類は、経録中で「疑経類(偽経類)」として著録され、それらは大蔵経に入蔵されることはなかった。それに対して、正しい仏典として認定されたものは真経として、大蔵経の体系を形成することとなった。


釈道安の時代には、雑多に翻訳された漢訳経典を整理する上で真経と偽経(疑経)とを厳に区分することは、最優先事であった。


しかしながら、偽経あるいは疑経と認定され、大蔵経に入蔵されなかったとは言え、これらの経典群が消え去ることはなかった。むしろ、盛んに読誦され、開版されて、今日まで伝わる経典は数多い。『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)、『盂蘭盆経(うらぼんきょう)、『善悪因果経(ぜんあくいんがきょう)など、今日も折本形式で発売されている偽経類は、多く見られる。多くの経本に収録されている『延命十句観音経(えんめいじっくかんのんぎょう)なども偽経の一つである。


このことは、偽経(疑経)というレッテルを貼られていても、時機相応の教説を説く、これら中国で撰述された経典類が、漢字文化圏において受容され得る力を持ち続けている証左となるものと考えられる。

議論

「現在の日本のある宗派の所依の経典、つまり根本聖典が、偽経(疑経)であるから、当該の宗派の立場は仏教の異端である」とする別の宗派からの非難がなされることがある。しかし、仏教経典と呼ばれるものが釈迦の教説をそのまま伝えているのではないことは、経典研究の結果、明らかとなっている。


比較的最近に発表されたものとしては『般若心経』が中国撰述であるという説がある。1992年米国のジャン・ナティエ(Jan Nattier、当時インディアナ大学準教授)は、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』などに基づき、玄奘が『般若心経』をまとめ、それを更にサンスクリット訳したという説を発表している。 それに対して福井文雅(ふくい ふみまさ/ぶんが)が「般若心経の研究史--現今の問題点」に於いて、また原田和宗(はらだ わそう。当時龍谷大学非常勤講師)が「梵文『小本・般若心経』和訳」に於いて反駁を試みている。