閻魔 各地の信仰 日本

日本仏教においては地蔵菩薩と同一の存在と解され、地蔵菩薩の化身ともされている。


後に閻魔の本地とされる地蔵菩薩は奈良時代には『地蔵十輪経』によって伝来していたが、現世利益優先の当時の世相のもとでは普及しなかった。平安時代になって末法思想が蔓延するにしたがい源信(げんしん)らによって平安初期には貴族、平安後期には一般民衆と広く布教されるようになり、鎌倉初期には預修十王生七経から更なる偽経の『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略して『地蔵十王経』)が生み出された。 これにより閻魔の本地が地蔵菩薩であるといわれ(ここから、一部で言われている閻魔と地蔵とを同一の尊格と考える説が派生した)、閻魔王のみならず十王信仰も普及するようになった。本地である地蔵菩薩は地獄と浄土を往来出来るとされる。


なお前述の通り、十二天の焔摩天は同じルーツを持つ神ともいわれる。中国では焔摩天が閻魔大王に習合されていたが、日本に伝わった時にそれぞれ別個に伝わったため同一存在が二つに分かれたとも考えられている。


閻魔王の法廷には浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ/じょうはりきょう)という鏡が設置されていて、死者の生前の善悪の行為をのこらず映し出すという。また司録と司命(しみょう)という地獄の書記官が左右に控え、閻魔王の業務を補佐する。京都府大山崎町宝積寺(ほうしゃくじ)には、閻魔・司録・司命が居並ぶ地獄の法廷を再現した鎌倉時代の木像があり、重要文化財に指定されている。


嘘をついた者は、地獄で閻魔に舌を引き抜かれる刑に処されるという俗説があり、子供を叱る際に使われた。またむかし和釘を引き抜くのに使われた、やっとこ形の釘抜きを「えんま」と称した。


こんにゃくが大好物であるという。東京・文京区の源覚寺(げんかくじ)にこんにゃくを供えれば眼病を治すという「こんにゃくえんま」像があるほか、各地の閻

魔堂でこんにゃく炊きの行事が行われる。


大阪市浪速区には、閻魔を祀った西方寺閻魔堂(正式には「合邦辻閻魔堂西方寺」。創建は伝・聖徳太子)があり、浄瑠璃の「摂州合邦辻」の舞台にもなっている。


1月16日・7月16日前後、奉公人は休暇を貰い故郷に帰る薮入り(やぶいり)の日であった。余暇を使いその日に閻魔堂に詣でたり、芝居などを楽しむ奉公人が多く、昔は1月16日・7月16日を「賽日・初閻魔」と呼んでいた。関東から中部地方にかけては、7月1日には地獄も定休日として罪人を煮るのふたを開き、亡者を苛むのを休んだということから「釜蓋朔日」(かまぶたついたち)と呼び、この日から入りとする。