台湾の仏教 沿革 第二次世界大戦以降


1945 年に第二次世界大戦が終わり、国民党政府が渡来した1950年代、国共内戦と中国共産党の仏教布教禁止令の影響で、大陸の仏教者が続々と渡来し定住した。彼らの仏教は漳泉で流行したような観音菩薩を神格化したものではなく、言うなれば無神教たる立場を強調した大乗仏教(漢伝仏教)で、この時に本格的に台湾に伝来したのである。


これより数十年布教の後、1980年代には経済発展や当局による統制の緩和などの影響もあって、仏教が流行した。道教信仰と混淆した仏教信仰ではなく、純粋な漢伝大乗仏教が仏教の新興運動の主力となった。また、信者の増加だけではなく、これまでに知られていない(と称する)経典が各地で大量に発表された。


2003年には、台湾の仏教信者数は約548.6万人となり、これは台湾の全人口 2300万人の23.9%を占める。ただし、この数字には儒教や道教、台湾の民間信仰との重複信仰者を含んでいる。宗派別の内枠としては、浄土宗・禅宗・無宗派の割合が多い。これは、仏教教団の活動によるもので、台湾仏教の5座山と呼ばれる、中台釈易覺法鼓山釈聖厳佛光山釈聖雲霊鷲山釈心道慈済基金会釈証厳の影響が大きい。この5団体はその社会を安定させる能力が肯定され、人々から敬重されているが、組織の規模があまりにも巨大で、他の先進国で見られる現象と同様に活動が過ぎることがあり、時々、世論を巻き起こすこともある。