インド密教の歴史 密教以前


パーリ仏典の長部・『梵網経(ぼんもうきょう)には、迷信的な呪術や様々な世間的な知識を「無益徒労の明」に挙げて否定する箇所があり、原始経典では比丘が呪術を行うことは禁じられていたが、律蔵においては(世俗や外道で唱えられていた)「治歯呪」や「治毒呪」といった護身のための呪文(護呪)は許容されていた。そうした特例のひとつに、比丘が遊行の折に毒蛇を避けるための防蛇呪がある(これが大乗仏教において発展してできたのが初期密教の『孔雀王呪経』とされる)。これは律蔵の「小事犍度」のほか様々な経律の典籍にあらわれ、出家者の間で広く用いられていたことが窺われる。本来は現世利益的な民間信仰の呪文とは目的を異にするもので、蛇に咬まれないためには蛇に対する慈悲の心をもたねばらないという趣旨の偈頌のごときものであったとも考えられるが、社会における民衆への仏教の普及に伴って次第に呪術的な呪文へと転じていったのでないか、と密教研究者の宮坂宥勝(みやさか ゆうしょう)は考察している。


また意味の不明瞭な呪文ではなく、たとえば森で修行をするにあたって(木霊の妨害など)様々な障害を防ぐために慈経を唱える、アングリマーラ経を唱えることで安産を願うなど、ブッダによって説かれた経典を唱えることで真実語(sacca-vacana)によって祝福するという習慣が存在する。 こうした祝福や護身のために、あたかも呪文のように経典を読誦する行為は、パーリ仏教系統では「パリッタ(paritta 護経、護呪)」と称され、現代のスリランカや東南アジアの上座部仏教でも数々のパリッタが読誦されている。