初期仏教 初期仏教からの展開

根本分裂


釈迦の死から約100年後のアショーカ王(前3世紀)のころ、仏教教団(プレ部派仏教)は保守的な上座部と進歩的な大衆部とに分裂した。これを根本分裂と呼び、それ以前を初期仏教、以後を部派仏教と呼びならわす。分裂の原因は、上座部教典パーリ語経典に含まれる論蔵の解釈にあった。


インド最大の宗派となった上座部の説一切有部は三世実有・法体恒有と云われる立場を完成させた。一方、大衆部及び上座部の経量部(きょうりょうぶ)法蔵部(ほうぞうぶ)は現在有体・過未無体を主張する立場となっていった。後者の集団について書かれた『八千頌般若経(はっせんじゅはんにゃきょう)(29品)』の古写本が発見され、大乗仏教の形成期についての解明が期待されているが、研究結果は発表されていない。


ただし、これらが分裂の要因とされたという見解については、漠然としているという説や、そのように画一的に線を引くことが出来るかどうかという点も指摘されており、分裂の原因は、いまなお、混沌としていて、研究結果不明の状態である。