中道 流れる丸太
パーリ語経典相応部のある経典では、釈迦が中道をガンガー河(ガンジス河)に流れる丸太に例えて説いている。
そこでは、釈迦が丸太を比丘(出家修行者)に例え、その流れる丸太が
· こちらの岸に流れつかず (六根(六内処)に囚われることなく)
· 向こう岸に流れつかず (六境(六外処)に囚われることなく)
· 中流で沈みもせず (悦楽・欲望に囚われることなく)
· 中州に打ち上げられもせず (自我の妄執に囚われることなく)
· 人によって持ち去られもせず (社会性・人間関係(付き合い・同情)に囚われることなく)
· 人でないもの(鬼神)によって持ち去られもせず (神秘主義に囚われることなく)
· 渦に巻かれることもなく (五感による欲望にまきこまれることなく)
· 内部から腐敗していくこともない (偽り・欺瞞を隠して生きることがない)
ならば、海(悟り、涅槃)へと到達するであろうと説かれる。