仏足石歌(ぶっそくせきか)
仏足石歌(ぶっそくせきか)は、和歌の作歌における内容と形式による歌の名前で、仏足石(仏足跡)の歌とも称される。奈良薬師寺には、仏足石とともに仏足跡歌碑があり、その歌碑に刻まれた「恭仏跡」(仏徳を賛えたもの)17首、「呵責生死」(かしゃくしょうじ。世の無常の道理を説いて仏道を勧めるもの)4首の仏教歌謡である。
仏足石は天武天皇の孫・文屋智努(ふんやのちぬ)が753年(天平勝宝5年)亡き夫人(または母ともいわれる)の追善のために作ったもので、仏足石歌もこの頃作られたと見られている。
仏足石歌の歌体はすべて五・七・五・七・七・七の6句からなり、6句目はその前の5句目を言い換えたものが多く、この歌体は結句を繰り返して歌う上代歌謡(じょうだいかよう)に起源をもつといわれている。また、この歌体はほとんどが仏足跡歌碑に見られることから、仏足石歌体と呼ばれている。仏足跡歌碑のほかにこの歌体が見られるのは『古事記』『万葉集』『播磨国風土記』に1首ずつが見られる。なお、仏足石に刻まれている文字は、6句目がそれまでの文字よりも小さく刻まれている。
仏足石歌は、大和時代・奈良時代に見られるが、平安時代に入ると衰亡した。