承元の法難 転機


建永(けんえい)元年(1206年)、後鳥羽上皇が熊野神社参詣の留守中に、上皇が寵愛する「松虫」と「鈴虫」という側近の女性が、御所から抜け出して「鹿ケ谷草庵」(ししがたにそうあん)にて行われていた念仏法会に参加する。安楽房遵西住蓮房(じゅうれんぼう。住蓮)の『六時礼讃』の美声が、世を憂いていた松虫と鈴虫を魅了し出家を懇願する。安楽房と住蓮房は、上皇の許可が無いため躊躇するものの、二人の直向さを受け、剃髪を行う。『愚管抄』(ぐかんしょう)によれば、更に彼女たちは安楽房の説法を聞くために彼らを上皇不在の御所に招き入れ、夜遅くなったからとしてそのまま御所に泊めたとされている。