九字護身法 概説



成身辟除護身法」を『切紙九字護身法』と対応させると、以下の様になる。


§ 「切紙」は奥義や口伝を授けることの意味だが、前半の「切紙九字」を略して、「切九字」となり、転じて「九字を切る」の言葉ともなったが、修法上は「切紙」は意味を為さない。「九字」は、まず印契を結ぶことから始まり、これが『胎蔵界法』の「成身辟除護身法」における『成不動身』と『成火炎印』や、『刀鞘印』の内容に関係する。「九字」の印契は九種類からなるが、最初に「独鈷印」(どっこいん)を結ぶ。「独鈷印」は不動根本印の一つであり、この印を結んで真言を唱えることにより自身を不動明王と観想することになる。なお、現行の経本類ではこれを「普賢三昧耶印」とするが、密教ではそれぞれの印契を同じ形であっても修法によって様々な呼び名があり、通常、在家が灌頂等で結ぶ機会のある「普賢三昧耶印」と混同したもの。ただし、本来は印契はその呼び名によって意味も違ってくるので、古い伝承の「独鈷印」の名称が正しい。


§ 次に「大金剛輪印」を結ぶ。この印は、日本密教では在家の『在家勤行次第』や各宗派の『日課経典』にも「大金剛輪印」として出てくるし、また、僧侶の場合でも「補欠真言」として修法で印明をよく使用するので「大金剛輪印」と呼ぶのが一般的である。「大金剛輪印」と呼んだ場合には大輪明王の根本印であり、別名を「摩利支天根本印」や「五仏灌頂印」ともいうが、ここでは「摩利支天根本印」が正しい。先に不動明王として観想した後、『胎蔵法』の『成火炎印』と同様に、次に摩利支天(まりしてん)の火炎をまとって邪魔や敵と相対するのである。なぜ摩利支天かというと、摩利支天はサンスクリット(梵語)で「マリーチ」といい、「焰光陽炎」つまりは太陽のコロナを意味していて不動明王の本地であるところの大日如来に関係する。また、その熱でどんな物も溶かしてしまうと共に、コロナの炎は太陽の光に隠れて「目に見えない」ことを意味する。さらには摩利支天の誓願の中には、自身と仏法に敵対するものは「必ず三悪道(さんあくどう)に落とす」というのがあり、不動明王が「たとえ地獄の炎に背中を焼かれても、一切衆生をその入り口で救う」というのと、好対照の一対をなすからである。


§ 残りの七つのうち前半の四つの印契は、順に「辟除結界」の意味を表している。「外獅子印」は外側の不浄を焼き尽く火焔の輪と、外から来る邪摩を打ち払う金剛杵(こんごうしょ)を表すもの。「内獅子印」は内側の不浄を焼く火焔の放射と、内なる障害を取り除く慧刀(慧剣)を表すもの。「外縛印」は外に城壁と門扉を作り、それらを堅く閉じることを表す。「内縛印」は内側にシャッターや天鉄(鋼鉄)製の扉を作り、それらを堅く閉じることを表す。


§ 後半の三つの印契は、本尊の威光と内証を表している。「辟除結界」の主尊となる不動明王の内証(ないしょう)は、本地である第二位如来に他ならないことを表すのが「智拳印」(ちけんいん)。この大日如来は、扁照尊(へんじょうそん)の異名があり世俗にあっては太陽を意味していて、その威徳を代行するのが日天(にちてん、にってん)であるので、「日輪印」を結ぶ。また、その威力にたとえられる太陽のコロナの如き摩利支天の神通力で、魔物からは姿が見えないように「摩利支天隠形印」を結ぶ。これにより、警護の主尊である不動明王は邪魔や魔物、外敵からは一切姿が見えない透明人間のような状態で常にお寺や道場、本尊の曼荼羅や瑜伽行者の身辺に付き従い、その炎によってあらゆる魔障を焼き払い、慧刀によってなぎ払うのである。


§ これらの「九字」の符牒に基づく印契を結び終わって、後は「刀鞘印」を結んで慧刀により四方八方をなぎ払う、俗にいう「九字切り」の作法を行なうのである。無論、不動明王の「刀鞘印」を結んだなら、加持の真言を三回唱えることは言うまでもない。