茨木童子(いばらきどうじ)



茨木童子(いばらきどうじ)は、平安時代大江山(おおえやま)を本拠に京都を荒らし回ったとされる「」の一人。茨城童子と書くこともある。酒呑童子(しゅてんどうじ)の最も重要な家来であった。





出生地には、摂津国大阪府茨木市水尾、または兵庫県尼崎市富松)という説と、越後国新潟県栃尾(とちお)市、現在の長岡市の軽井沢集落)という説がある。生まれた頃から歯が生え揃っていた、巨体であったなど周囲から恐れられ、鬼と化した後は酒呑童子と出会い舎弟となり、共に京を目指した。



酒呑童子一味は大江山(丹波国にあったとされるが、現在の京都市亀岡市の境にある大枝山(おおえやま)という説もある)を拠点にし、京の貴族の子女を誘拐するなど乱暴狼藉をはたらいたが、源頼光(みなもとの よりみつ)と4人の家臣たち(頼光四天王。らいこうしてんのう)によって滅ぼされたという。 しかし茨木童子は逃げ延びたとされ、その後も頼光四天王の一人である渡辺綱(わたなべの つな)一条戻り橋羅生門で戦った故事が後世の説話集や謡曲歌舞伎などで語り継がれている。