鬼と人
人に化けて、人を襲う鬼の話が伝わる一方で、憎しみや嫉妬の念が満ちて人が鬼に変化したとする話もある。代表的な例としては、能の「鉄輪」や「紅葉狩」に、嫉妬心から鬼と化した女性の話が伝わっている。「般若の面」はその典型である。
『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)(平安時代末期成立)には、女が男を呪った歌として、「~角三つ生ひたる鬼になれ~」と記されており、この事から12世紀末時点で、人を呪いで鬼にしようとした事、また、頭に角が生えた鬼といったイメージが確立していた事が分かる。これは自発的に鬼になる事例とは異なり、相手を鬼にしようとした例といえる。
修験道の役行者の使い鬼である前鬼(ぜんき)・後鬼(ごき)は、共にその子孫が人間として、その名の村を構えている。仏教でも似た例はあり、比叡山の八瀬の村の伝承には、村の祖先は「我がたつ杣(そま)」の始めに、伝教大師(でんぎょうだいし。最澄)に使われた鬼の後裔であると称している。このように、宗教界の偉人の使い鬼を先祖とする例が散見される。折口信夫(おりぐち しのぶ)の解釈では、八瀬の伝承は、本来、鬼ではなく、神であり、仏教を受け入れた事による変化としている。
珍しい事例として、『今昔物語集』巻二十第七に記された話には、藤原明子(ふじわらの あきらけいこ/めいし)の物の怪を祓った縁から親しく交際するようになった大和国葛木金剛山の聖(ひじり=僧侶、信濃国の山中出身で肌は赤銅色)が、のちに暗殺者の追手を逃れ、崖から転落しながらも生き延び、再会した時に「聖の道を捨て、恋愛の鬼となった」と語る場面がある。山賊のような凶悪な存在ではないが、朝廷で無用者扱いを受けて、鬼(または天狗)扱いをされ、聖自身も恋愛の鬼となったと悟る。鬼であると自他共に認めてしまうが、藤原明子が没する晩年まで交際を続けた。朝廷にとって不都合な存在を鬼とする一事例といえる話である。