前鬼・後鬼 伝承
元は生駒山地に住み、人に災いをなしていた。役小角は、彼らを不動明王の秘法で捕縛した。あるいは、彼らの5人の子供の末子を鉄釜に隠し、彼らに子供を殺された親の悲しみを訴えた。2人は改心し、役小角に従うようになった。義覚(義学)・義玄(義賢)の名はこのとき役小角が与えた名である。彼らが捉えられた山は鬼取山または鬼取嶽と呼ばれ、現在の生駒市鬼取町(いこまし おにとりちょう)にある。
なお、静岡県小山町須走(おやまちょう すばしり)にも、役小角が前鬼と後鬼を調伏し従えたとする伝説がある。
修験道の霊峰である大峰山(おおみねさん)麓の、現在の下北山村前鬼に住んだとされ。この地には2人のものとされる墓もある。また、この地で(生駒山のエピソードと時間順序が矛盾するが)、5人の子を作ったという。
さらに、前鬼は後に天狗となり、日本八大天狗や四十八天狗の一尊である大峰山前鬼坊(那智滝本前鬼坊)になったともされている。