放生会(ほうじょうえ)
放生会(ほうじょうえ)とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式である。仏教の戒律である「殺生戒」(せっしょうかい)を元とし、日本では神仏習合によって神道にも取り入れられた。収穫祭・感謝祭の意味も含めて春または秋に全国の寺院や、宇佐神宮(うさじんぐう、大分県宇佐市)を初めとする全国の八幡宮(八幡神社)で催される。特に京都府の石清水八幡宮や福岡県の崎宮のもの(筥崎宮では「ほうじょうや」と呼ぶ)は、それぞれ三勅祭(ちょくさい)、博多三大祭として、多くの観光客を集める祭儀としても知られている。
起源
『金光明経』長者子流水品には、釈迦仏の前世であった流水(るすい)長者が、大きな池で水が涸渇して死にかけた無数の魚たちを助けて説法をして放生したところ、魚たちは三十三天(さんじゅうさんてん、忉利天(とうりてん))に転生して流水長者に感謝報恩したという本生譚(ほんしょうたん、ジャータカ)が説かれている。また『梵網経』(ぼんもうきょう)にもその趣意や因縁が説かれている。
仏教儀式としての放生会は、中国天台宗の開祖智顗(ちぎ)が、この流水長者の本生譚によって、漁民が雑魚を捨てている様子を見て憐れみ、自身の持ち物を売っては魚を買い取って放生池に放したことに始まるとされる。また『列子』(れっし)には「正旦に生を放ちて、恩あるを示す」とあることから、寺院で行なわれる放生会の基となっている。
日本においては天武天皇5年(677年)8月17日に諸国へ詔(みことのり)を下し放生を行わしめたのが初見であるが、殺生を戒める風はそれ以前にも見られたようで、敏達(びだつ)天皇の7年(578年)に六斎日(ろくさいにち)に殺生禁断を畿内に令したり、推古天皇19年(611年)5月5日に聖徳太子が天皇の遊猟(ゆうりょう)を諫めたとの伝えもある。聖武天皇の時代には放生により病を免れ寿命を延ばすとの意義が明確にされた。
放生会は、養老(ようろう)4年(720年)の大隈(おおすみ)、日向(ひゅうが)両国の隼人(はやと)の反乱を契機として同年或いは神亀(じんき)元年(724年)に誅滅(ちゅうめつ)された隼人の慰霊と滅罪を欲した八幡神の託宣(たくせん)により宇佐神宮で放生会を行ったのが嚆矢(こうし)で、石清水八幡宮では貞観4年(863年)に始まり、その後天暦(てんれき)2年(948年)に勅祭となった。
明治元年(1868年)4月24日に神仏分離のため仏教的神号の八幡大菩薩が明治政府によって禁止され、7月19日には宇佐神宮や石清水八幡宮の放生会は仲秋祭や石清水祭に改めさせられた。