神道とアニミズム
神道の概念
太古からある神道の始まりである古神道(こしんとう)においては、必ずしも神奈備(かんなび・神々が鎮座する森や山)に代表される神籬(ひもろぎ・鎮守の森(ちんじゅのもり)や御神木(ごしんぼく)の巨木や森林信仰)や磐座(いわくら・夫婦岩(めおといわ)などの巨石や山岳信仰)は依り代としての対象だけではなく、常世(とこよ・神の国や神域)と現世(うつしよ・俗世いわゆる現実世界)の端境(はざかい)や各々を隔てるための結界(けっかい)の意味もある。あくまでも自然崇拝・精霊崇拝(アニミズム)を内包し、その延長線としての祖先崇拝も観念や、祈祷師・占いなどのシャーマニズムとも渾然一体となっている。
森羅万象に宿る神
古神道から流れの民間信仰や価値観として、上記の森羅万象とする範囲を超越した行為があり、敵や人の食べ物として命を落としたものでさえ祀った蒙古塚(もうこづか)や鯨塚(くじらづか)などが存在する。前述のアニミズムの説明の中で無機質とあるが、あくまでも対象は自然の中の海・山河や岩・大地や風雨・雷といった気象現象などに留まる物であり、道具などの人工物についての特筆はなく、その点においては、九十九神(つくもがみ)や道具塚や針供養などの人工物にまで広がりその種類は多岐にわたる。
人の営み「勤しみ(いそしみ)」にも神が宿ると考え農業・林業・漁業などにおいて、例えば稲作信仰の米作りは神事であり、これらの自然と密着した一次産業だけでなく、二次産業においても建築・土木・鉱業や鍛冶・たたら(日本の古式製鉄)の鉱業や醸造・酒造といった食品加工業にも神が宿ると考え、職業としての神事があり、神棚や装束を備え纏い、行程の節目に固有の儀式を行い、現在も引き継いでいる職業は多く存在する。
そして、霊や精霊だけでなくその表現や捉え方は命・魂・御霊(みたま)や神・尊(みこと)でもあり、その区別や概念も曖昧であり、それを分類や定義付けることなく享受してきた。ただし、強弱や主客といえるような区別は存在し、大きいもの(巨石・山河)や古いもの長く生きたものが、その力が大きいと考えると同時に尊ばれ、日本神話にある、人格神などの人としての偶像を持つ神々も信仰の対象とし、「それらの神がその他の森羅万象の神々を統べる」という考え方に時代とともに移っていった。
神社神道と古神道と他宗教との習合
その後、古来からある神殿の形式や祭礼の様式・儀式に加え、奈良時代頃からは、仏教や仏教建築の形式や儀式の影響を受け、平安時代には、道教の陰陽五行(おんみょうごぎょう)思想を神道に取り入れ、陰陽師と陰陽思想が台頭し、そして現在の神社神道にもその陰陽五行思想が存在する。その後には古神道と仏教や密教が習合した山岳信仰である修験道などが誕生し、江戸時代には儒教と習合した儒教神道も生まれた。
近代から現在の神道においては、一般に「八百万(やおよろず)の神」と称されるように、古神道も不可分であることから、様々な物体や事象にそれぞれ宿る神が、信仰されているためアニミズムと同一視される事もある。ただし、現在の神社神道において依り代となるものは一定の範囲に限定されており、神籬や磐座は玉垣になり、鎮守の森は神体(しんたい)として扱われなくなった。このように神社神道では、万物に神が宿っているわけではないという点でアニミズムとは異なっているともいえる。