神 自然科学との関係
日常的には、今日における自然科学の発達は、『神』の存在に対して否定的に働くものと考えられることは少なくない。 しかし、西ヨーロッパやイスラム世界における自然科学の発達は神への信仰と深く結びついており、自然は神の言語であるだとか、自然科学によって世界を解明することはそのような精密な被造物を創造した神の偉大さを讃えることにつながるとされ、アイザック・ニュートンやヨハネス・ケプラーなど宗教的情熱を背景として自然科学の発達に大きく貢献した科学者は数多いという意見もある(理神論(りしんろん)など)。
実際ヨーロッパでは神の存在について研究する神学(しんがく)は長きにわたって学問上の基礎科目であり、オックスフォード大学もケンブリッジ大学も、ハーバード大学も元は神学校(しんがっこう)である。
これに関連して、ゼロの概念を生んだインドや製紙法・火薬・羅針盤の三大発明をなした中国ではなく、なぜ西ヨーロッパにおいて自然科学が大いに発展したのかについて、自然の中に神を見出すのではなく、神を自然とは全く異なる「万物の創造者」と考え、自然を克服の対象として捉える宗教観が根底にあるのではないかという主張が、主としてヨーロッパ中心主義者によって唱えられることもある。しかしこれは近代以降におけるヨーロッパのみを特別視し、それ以前のヨーロッパの技術的・科学的後進性を無視したエスノセントリズムに過ぎないとの批判もある。
また、人間はその生物学的本質として、神の存在を必要とするという指摘もある。すなわち、時間の概念を認識し、かつ「死」の概念を理解することができるのは人間の高度に発達した大脳においてのみであり、いずれ死を迎えるという未来に対して不安を抱く。死を始めとする自らの努力においてはどうしようもない未来に対する巨大な不安を和らげる為に人知を超越した神の存在を設定しようとする、というものである。
このような性質から、永続的な不安を感じることの少ない若い世代においては神への強い信仰は得られにくく、死という最も大きい不安を感じることの多い年配の世代になればなるほどに神への信仰を持つ率が高くなると言われている。また両親が信仰を持つことなどからの影響で信仰心を持つ場合も少なくないが、逆に家庭内での不和等が生みだす永続的な不安感を持つ者は絶対的な他者への救いを求めることへ繋がりやすく、新興宗教がその受け皿となることも多い。
神の死
かつては無条件に神またはそれに類する超越的存在は信じられ、疑うことは稀であったが近代に入り科学が諸分野で成功を挙げるようになると、唯物論など神を介しない思考も先進諸国を中心に力を得てきた。長らく神学を継承しながらも批判的に発展してきた哲学でもその風潮を受け、19世紀にはニーチェが有名な「神の死」を指摘した。その影響を受け戦後の一時期実存主義というものが盛んになった。今日では無条件に「神」を信ずる者は中世などに比べ多くはないとされる。ニーチェが提起した「神の死」は善悪の行いを基準とした「死後の世界」の崩壊を招きニヒリズムをもたらした。