殉教(じゅんきょう)
殉教(じゅんきょう)とは自らの信仰のために命を失ったとみなされる死のこと。キリスト教の歴史でよく用いられる言葉であるが、キリスト教以外の宗教でも見られ、宗教的迫害において命を奪われた場合や、棄教を強制され、それに応じないで死を選ぶ場合など、様々な形の殉教がある。なおキリスト教の一教派である正教会(日本ハリストス正教会)では殉教との語を使わず、致命(ちめい)・致命者の語を用いる。
仏教の殉教
仏教では釈迦の到達したとされる涅槃(ねはん)の原語ニルヴァーナ(nirvana)が「吹き消された状態」を意味するため、「煩悩が吹き消された状態」→「(煩悩が宿るところの)生命の火が吹き消された状態」すなわち「身体の死」(無余涅槃。むよねはん)こそ悟り・解脱であるとする立場が現れた。その立場に立って苦行を行い、自ら死に臨んだ僧達も一種の殉教者と言えるであろう。日本では即身仏(そくしんぶつ)、補陀洛渡海(ふだらくとかい)の例が知られる。