ヴァルナおよびカーストの扱い
セーンの所論
クシティ・モーハン・セーンは、カースト制をブラフマンがアートマンと一つである、という教えと矛盾するものだとしている。彼の著したヒンドゥー教の解説書によると、正統派ヒンドゥー教徒にもカースト制度は自然になくなるだろう、と考える人がいるという。
セーンはインド神話のリシ(聖仙)たちが低い身分の生まれであり、バクティ運動でその指導者たちがカーストに反対したことをあげている。『マハーバーラタ』から逆毛婚(婿のカーストが嫁よりも低い結婚)の例をあげ、それが他のインドの文献にもみられると書いている。
セーンは『バシュヴィヤ・プラーナ』「ブラフマ」篇41章45節から、四つのカーストは同じ父(神)を持ち全ての人は一つのカーストに属する、と書いた一節を引用し、カースト制度をヒンドゥー教に欠かせないと考える人は、ヒンドゥー教の本質に反すると書いている。ただし、経済的・社会政策的に役立つ面はあったとはしている。
ヴァルナは血脈によらないという主張
ヴァルナは血脈に限定されるのではなく、各人の資質によって決められるもの、という主張がある。パラマハンサ・ヨガナンダ著『あるヨギの自叙伝』では、マヌが制定した本来のヴァルナ制は、霊的な差がありすぎる両親が子をつくると民族内の霊的なバランスが崩れてしまうため、霊的成長の度合いによってグループ分けをすることで対策をはかったもの、と記されている。それが形骸化して世襲になってしまったという。注釈では霊的本質を見ることのできるグルによって各人のヴァルナの審査は可能であると主張されている。とはいえ、どの民族にもこのような身分制はあり、カースト制度はインドの民族的純粋性を保ち、同化による消滅を防ぐのに役立ったとして一定の擁護もなされている。
同様の主張がクリシュナ意識国際協会のウェブサイトでなされている。『バガヴァッド・ギーター』4章13節に記されたヴァルナの創造を、集団・身分の創造時のものではなく、各人の創造時になされること、と捉えている。裁判官の子が裁判官に向いているとは限らないが、民族や家系に関わらず、バラモンとして適した人物、ヴァイシャに適した人物が生まれる。それをクリシュナのヴァルナ創造としている。他ヴァルナの義務の実行を戒める章句についてもこの見方をとり、「バラモンの家系に生まれたとしても、シュードラの性質を持つ人はバラモンとして振舞うべきではない」という解釈をしている。クリシュナ意識国際協会では(バラモン家系出身ではない)西洋人の改宗者がバラモンの儀式を行っている。 ISKCONウェブサイトでは、彼らの考える「本来の」ヴァルナをヴァルナーシュラマ=ダルマ(Varnashrama-dharma)と呼び、現行の一般的カースト解釈と区別している。 ただし同カースト間の結婚をその家系に洗練された子をもうけるために有効であったとしており、その意義を完全に否定したわけではない。