プラーナ文献 歴史
歴史的には、当初は、バラモン教時代に伝えられた神々やリシ、太古の諸王に関する神話・伝説・説話だったと考えられている。これらの古史古伝は、ヴェーダの伝承者とは別に存在したとされるスータ (suuta) と呼ばれる吟遊詩人、弾唱詩人といった職業的語り部集団によって伝承された。彼らは『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』などの叙事詩の伝承集団とも近い関係にある一方、ヴェーダの祭式や解釈学、また法の成文化にも関わっていた。
やがて、バラモン教からヒンドゥー教へ変わっていく歴史の流れの中で、寺妓や巡礼地に集まる身分の低い僧職が台頭、彼らはヒンドゥー教のあらゆる要素を取り入れ、挿入、改竄(かいざん)を繰り返し、その素性、年代が極めて多様で、およそ4世紀から14世紀にかけて現在のプラーナを大成、定着させた。プラーナは、ヴェーダの補遺として女性やシュードラ(隷属民)の教育を目的としたともいわれ、正統派のバラモンからは「ヴェーダ聖典を直接を学ぶ資格のない女性やシュードラ階級の為の聖典」と評されることもある。 たしかに、叙述の不統一や表現の法外な誇張がみられるが、これはヒンドゥー教の土俗的・民衆的側面を代表する文献としてのプラーナの性格を指したものであり、必ずしもその重要性を否定するものではない。古い伝承が保存されていることから、ヒンドゥー教の哲学・宗教の発達を知る手がかりのみならず、ひろく、宗教学・民俗学に貴重な資料を提示している。