即位灌頂の歴史



即位灌頂と即位法



実際に天皇が即位式に際して実修した即位灌頂と並んで、天台宗真言宗には、天皇が即位式で実修するための、即位法と呼ばれる印明と真言が伝えられている。一般的に天台宗の即位法は天台方、真言宗の即位法は東寺方と呼ばれている。天台方、東寺方とも複数の即位法が伝えられており、それぞれ印明と真言が異なる。天台方の即位法は、穆王(ぼくおう)が大日如来から法華経偈(げ)を授けられたとする穆王説話などの説話をもとに、当初は高僧が天皇に対して印明伝授を行う内容であったのが、その後、摂関が印明伝授する内容になったとされる。一方、東寺方の即位法は両部(りょうぶ)神道などの影響が見られるとされ、当初から摂関が天皇に伝授する内容であった。



即位法はそのまま実際の即位灌頂に用いられることはなかったが、即位灌頂の成立には少なからぬ影響を与えたと見られ、特に東寺方即位法と即位灌頂との類似が指摘されている。



鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて、天皇の存在が互いに不可欠であった摂関家と寺院勢力は、自らの存続をかけて共同で即位儀礼の中に即位灌頂を持ち込んだものと見られる。鎌倉時代後期以降、持明院統(じみょういんとう)大覚寺統(だいかくじとう)の争いはやがて南北朝の対立へと進み、二人の天皇が対立するようになった。また王統分裂の影響を受け、寺院勢力の中でも分派が進んだ。そうした分派それぞれが即位法を編み出し、それら即位法は、南北朝の争いが終焉しても統一されることなく現在まで伝えられることになった。