歎異抄 親鸞思想との相違点



歎異抄(たんにしょう)は書名が示すように、当時の真宗門徒たちの間で広がっていた様々な異説を正し、師である親鸞の教えを忠実に伝えようという意図の下で著されたものである。しかしながら、親鸞の著作から知られる思想と、歎異抄のそれとの相違を指摘する学者も多いたとえば仏教学者の末木文美士(すえき ふみひこ)は、唯円(ゆいえん)の思想はある種の造悪無碍(ぞうあくむげ。「阿弥陀仏は、悪人を目当てに救うのだから、悪いことをすればするほど救われる」という考えの立場を取っているとする。これは親鸞の立場とは異なるとする。



唯円は歎異抄において、阿弥陀仏の本願を盾に悪行をおこなう者に対して、忠告は行なっているが、彼らの往生は否定せず、かれらも確実に浄土に往生できるとする。しかしながら、親鸞は書簡にも見られるように、どのような悪しき行いを為しても無条件に救済されるという考えは採っておらず、そのような念仏者の死後の往生については否定的な見解を述べている。

また歎異抄では念仏が多用され、念仏さえ称えたら救われるように受け取られる文があるが、親鸞の教えは信心正因称名報恩(信心一つで救われ、念仏はお礼)である。