十刹(じっせつ、じっさつ)
十刹(じっせつ、じっさつ)とは、五山(ござん)制度に基づく寺格(じかく)の一つである。五山の下・諸山(しょざん)の上。
元来は南宋の寧宗(ねいそう)がインドの5精舎10塔所(たっしょ)の故事に倣って「五山」とともに「十刹」を定めて保護を与えたのが由来と言われている。
日本では、建武の新政の段階で既に南禅寺(なんぜんじ)・浄妙寺(じょうみょうじ)(両寺は後に五山に昇格)・万寿寺(まんじゅじ)が「十刹」に指定されていたことが明らかとされており、「十刹」成立を鎌倉時代末期とするのが通説とされている。
室町幕府によって「天下十刹」が定められたものの、その時々に応じて入る寺院や順位などが変動した。そこで至徳(しとく)3年7月10日(1386年)に五山制度の改革にあわせて十刹制度の改革を行って、「京都十刹」と「関東十刹(鎌倉十刹)」に分けられて京都と関東(鎌倉以外の寺院も含む)がそれぞれ10ヶ寺ずつ定められた。だが、地方の寺院は「天下十刹」に入っていたものでも結果的にその資格を取り上げられたためにこれに強く反発し、後に枠外として「十刹」に追加される寺院も現れた。そのため、明応(めいおう)元年(1490年)には46、更に後には60ヶ寺まで増加することになった。