尼寺(あまでら、にじ)
尼寺(あまでら、にじ)は、比丘尼(びくに。尼(あま))が住持(じゅうじ)である寺院。
日本の尼寺
沿革
日本最初の尼とされている善信尼(ぜんしんに)が住んだとされる桜井寺(豊浦寺(とゆらでら)の前身)が日本最初の尼寺とされる。
聖徳太子が橘寺(たちばなでら)など4ヶ所の尼寺を開き、行基(ぎょうき)も尼寺を創建したと伝えられる。
奈良時代に聖武天皇が法華寺(ほっけじ)を総本山として国分尼寺(こくぶんにじ)を建立したが、同時期に日本に設置された戒壇(かいだん)では、女性の授戒を禁じたために、女性は正式に尼になることが出来ず、国分尼寺をはじめとした尼寺もほどなく衰退した。
弘仁(こうにん)9年(818年)に男子禁制の筈の尼寺に昼間に限って男子の出入りが許される太政官符が出されるが、これも尼寺の僧寺化の進行の現われとも言われている。
鎌倉時代に律宗や禅宗は自派の独自の戒壇で女性の授戒を許して以後、尼が再び公式に認められるようになる。
室町幕府の足利義満は、五山(ござん)の制に倣って尼寺五山(あまでらござん)を設置した。
また、これとは別に皇族や摂関家の息女が入寺する比丘尼御所(びくにごしょ)・尼門跡(あまもんぜき)と呼ばれる寺院も出現するようになった。