往生要集 解釈



法然

法然(ほうねん)は、一見すると天台の教えに沿ったこの書の主眼は、

導和尚云 若能如上念念相続畢命為期者 十即十生 百即百生 若欲捨専修雑業者 百時希得一二 千時希得三五



善導の『往生礼讃偈』(おうじょうらいさんげ)の引用文より、観想念仏から専修念仏へ誘引するための書として重視した。また法然は『選択本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)において、




往生礼讃云 若能如上念念相続畢命為期者 十即十生 百即百生 何以故 無外雑縁得正念故 与仏本願相応故 不違教故 随順仏語故 若欲捨専修雑業者 百時希得一二 千時希得五三 (中略) 私云 見此文 弥須捨雑修専 豈捨百即百生専修正行 堅執千中無一雑修雑行乎 行者能思量之



(訓読)往生礼讃に云く、「もしよく上(かみ)の如く念々相続して、畢命(ひつみょう。生命の終わり)を期とする者は、十は即ち十ながら生じ、百は即ち百ながら生ず。何をもつての故に。外の雑縁なく、正念を得るが故に。仏の本願と相応するが故に。もし専を捨てて雑業(ぞうごう)を修せむと欲する者は、百の時に希(まれ)に一二を得、千の時に希に五三を得。 (中略) 私に云く、この文を見るに、いよいよすべからく雑を捨てて専を修すべし。あに百即百生(ひゃくそくひゃくしょう)の専修正行を捨てて、堅く千中無一(せんちゅうむいち)の雑修雑行を執せむや。行者よくこれを思量せよ。



と、『往生礼讃偈』の同部分を引用し、註釈を加え専修念仏を説いた。




親鸞

法然を師とする親鸞(しんらん)も同様に、当時の貴族の間で流行していた観想念仏の教えを説きつつ、観想念仏を行えない庶民に称名念仏の教えを誘引するための書と受けとめる。この事は、『正真念仏偈(しょうしんねんぶつげ)「源信章」・『高僧和讃(こうそうわさん)「源信大師」における評価から見取ることができる。



§ そのため浄土真宗各派において、『往生要集』は正依の聖教とされる。