玉虫厨子 絵画
宮殿(くうでん)部正面扉には向かい合って立つ2体の武装神将像を描き、左右扉には各2体の菩薩立像を描く。宮殿部背面に描かれるのは霊鷲山浄土図(りょうじゅせんじょうどず)で、中央に3基の宝塔とその中に坐す仏、その下に岩窟中に坐す4体の羅漢像を描く。これらの左右には日月、飛翔する2体の天人、2体の鳳凰などを描く。
須弥山部は、正面に「舎利供養図」、向かって左側面に「施身聞偈図」(せしんもんげず)、右側面に「捨身飼虎図」(しゃしんしこず)、背面に「須弥山世界図」を描く。これらの絵画は朱を主体として、黄、緑を含むわずか3色で描かれている。技法については、漆絵説と顔料を荏胡麻(えごま)油で溶いた密陀絵(みつだえ)とする説、2つの技法を併用しているとする説があるが、併用説が有力となっている。いずれにしても、出土品ではない伝世の漆工芸品としては日本最古の遺品であり、数少ない飛鳥時代絵画の遺品としても重要である。法隆寺の「昭和資財帳」作成の際の再調査では、厨子の蓮弁部分に截金(きりかね)の痕跡が発見され、截金使用の最古例としても注目される。
須弥座(しゅみざ)の絵画のうち「捨身飼虎図」と「施身聞偈図」はジャータカ、つまり釈迦の前世の物語である。「捨身飼虎図」は、薩埵(さった)王子が飢えた虎の母子に自らの肉体を布施するという物語で、出典は『金光明経』「捨身品」である。この図は「異時同図法」の典型的な例としても知られ、王子が衣服を脱ぎ、崖から身を投げ、虎にその身を与えるまでの時間的経過を表現するために、王子の姿が画面中に3回登場する。「施身聞偈図」の出典は『涅槃経』「聖行品」である。画風は素朴であり、山、崖などを表現する際に「C」字形の描線を多用するのが特色である。様式的には、中国魏晋南北朝時代の絵画に近い。