四国八十八箇所 歴史



修行の地、四国

古代から、都から遠く離れた四国は辺地(へじ・へぢ)と呼ばれていた。平安時代頃には修験者の修行の道であり、讃岐国に生れた若き日の空海もその一人であったといわれている。空海の入定(にゅうじょう。ここでは空海が即身仏となったことを指す。)後、修行僧らが大師の足跡を辿って遍歴の旅を始めた。これが四国遍路の原型とされる。時代がたつにつれ、空海ゆかりの地に加え、修験道の修行地や足摺岬(あしずりみさき)のような補陀洛渡海(ふだらくとかい)の出発点となった地などが加わり、四国全体を修行の場とみなすような修行を、修行僧や修験者が実行した。また、西行(さいぎょう)の白峰御陵(白峰寺)の参拝、弘法大師遺蹟巡礼や、一遍の影響もあるといわれている。室町時代には僧侶の遍路が盛んになる。