祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)



祇園精舎(ぎおんしょうじゃ、正式名:祇樹給孤独園精舎、ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ、梵語: Jetavana Anathapindadasya-arama)は、中インドのシュラーヴァスティー(舎衛城、しゃえいじょう・シュラーヴァスティー)にあった寺院で、釈迦が説法を行ったとされる場所。天竺五精舎(釈迦在世にあった五つの寺院)の一つ。





名称の由来


名称の意味は「ジェータ太子の森」 (祇陀太子, Jetavana) と、「身寄りのない者に施しをする」 (Anathapindada) という言葉を並置した物であり、以下の由来による。

インドのシュラーヴァスティーにスダッタ(須達多)という、身寄りのない者を憐れんで食事を給していたため、人々から「給孤独者 (anathapindada) と呼ばれていた富豪がいた。


ある日、スダッタは釈迦の説法を聞いてこれに帰依し、彼に説法のための寺院を寄付しようと思い立った。そして見つかった土地が、ジェータ太子の所有する森林であった。その土地の譲渡を望むスダッタに対して、ジェータ太子が「必要な土地の表面を金貨で敷き詰めたら譲ってやろう」と戯れで言った。しかし、スダッタが本当に金貨を敷き詰め始めたため、ジェータ太子は驚いて、そのまま土地を譲渡し更に自らも樹木を寄付して、寺院建設を援助した。

これため、この僧園はジェータ太子と給孤独者スダッタ両者の名を冠して祇樹給孤独園と呼ばれ、そこに建てられた精舎(しょうじゃ)を祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)と称するようになった。





祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。沙羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ




という『平家物語』の冒頭に詠われている所から、特に日本ではよく知られている。

出自不明の習合牛頭天王(ごずてんのう)は、祇園精舎の守護神とされる。そのため、牛頭天王は別名「祇園天神」と称す。祇園天神を祀る神社を祇園神社八坂神社が一般的。天王神社などとも)という。八坂神社の祭礼を祇園祭という。総本社の京都八阪神社の門前町祇園は、花街(かがい・はなまち、遊廓)として有名である。