チベット仏教 教義



基盤となる顕教の教え

どの宗派においても、一切有情(うじょう、衆生)が本来持っている仏性(ぶっしょう)を「基」とし、智慧(空性を正しく理解すること)と方便ほうべん。信解・菩提心・大慈悲などの実践)の二側面を重視し、有情が大乗菩薩となり六波羅蜜を「道」として五道十地(じっち、じゅうじ)の階梯を進み、「果」として最終的に仏陀の境地を達成することを説く。哲学的には龍樹(りゅうじゅ)の説いた中観(ちゅうがん)派の見解を採用しており、僧院教育の現場においては、存在・認識についての教学・論争による論理的思考能力と正確な概念知の獲得を重視している。その思想の骨格となる重要な論書としては、シャーンティデーヴァの著した『入菩薩行論』(にゅうぼさつぎょうろん) (Bodhisattvacaryāvatāra) 、マイトレーヤの著した『究竟一乗宝性論』(ひっきょういちじょうほうしょうろん)(Uttaratantra Shastra )『現観荘厳論』(げんかんしょうごんろん)(Abhisamayalamkara)などがあるほか、アティーシャらが説いたロジョン(blo sbyong、和訳:心の修行)の教えが重視され、全宗派で修習されている。




密教的実践

また、仏陀の境地を速やかに達成するための特別な方便として、各宗派においてインド後期密教の流れを汲む無上ヨーガ・タントラの実践が行われている。一般的に新訳派では無上ヨーガ・タントラを、本尊の観想を中心とした生起次第を重視する父タントラ、身体修練によって空性大楽の獲得を目指す究竟次第を重視する母タントラ、それらを不可分に実践する不二タントラの三段階に分類する。密教の最奥義に相当するものにはニンマ派ゾクチェンサキャ派ラムデカギュ派マハームドラーなどがあり、各派に思想的特徴が見られる。これら顕密併習の修道論として、最大宗派のゲルク派にはツォンカパの著した『菩提道次第どうしだい)(ラムリム)』と『秘密道次第論(ンガクリム)』があるが、各宗派においてもそれらとほぼ同種の修道論が多数著されている。

無上ヨーガ・タントラの実践においては、タントラ文献の記述や歓喜仏(かんぎぶつ)のイメージなどから、一部でセックスを修行に取り入れているという道徳的観点からの批判もあるが、これは在家密教修行者集団内でのことである。中世にはカダム派を中心とした出家者集団の復興が行われて以降、性的実践を行なわずに密教を修行する傾向が強まった。その影響が各派に及び、現在の出家僧団においてはあくまで観念上の教義として昇華され、なおかつ一般の修行と教学を修得した者のみに開示される秘法とされた。このような呪術的、性的な要素については、出家僧団内においては実際的な行法としては禁止されたものの、その背景にある深遠な哲学自体は認められたため、教学および象徴的造形としては残されたということに留意すべきである。現在では顕教を重視するゲルク派が最大宗派となっていることからも、全体として密教的な修行法よりも、「教理問答」のような言語的コミュニケーションと、仏教教学の厳密な履修が重要視される傾向が高まっているといえる。