近世以降の大乗非仏説



近世以降の「大乗非仏説」説では、文献学的考証を土台とし、仏教が時代とともにさまざまな思想との格闘と交流を経て思索を深化し、発展してきたことを、「実際存在する/伝わった経典を証拠に、事実として示す」のが特徴である。



議論

大乗経典は元々の口伝による伝承そのものが存在しないという主張がある。

すでに紀元前1世紀頃には、上座部(南方分別説部)が布教されたスリランカにおいてパーリ語経典が貝葉(ばいよう。針で彫りつけて経文を書き、紙の代わりに用いたタラジュの葉。に記録されているが、このスリランカに伝承されたパーリ五部と、シルクロードを経て2世紀半ばから中国で漢訳されはじめた阿含経(漢訳四阿含等)とでは、部派が異なるにもかかわらず教えの内容がほぼ一致している。このともにインド文化圏の周辺域で記録された経典が共通性を持つことに注目し、そして紀元前2世紀~前1世紀にかけてインド仏教聖地で建立された碑文に「五部の精通者」云々の語句が認められることを勘案すれば、大乗仏教運動が起った時点ではすでに諸部派において「釈尊の言い伝え」として承認される経典の範囲が確定していた可能性は高い。

つまり、大乗経典は四部または五部に分類される経典の何処にも場所を持たなかったと考えられるのである。



文献学的考証に対する扱い

文献学研究の結果では、時代区分として、初期仏教(原始仏教)の中の仏典『阿含経典』、特に相応部(サンユッタ・ニカーヤ)などに最初期の教え(釈迦に一番近い教え)が含まれていることがほぼ定説になっており、少なくとも「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法した」という文献学者はいない。