偽経(ぎきょう)
偽経(ぎきょう)、あるいは疑経とは、中国において、漢訳された仏教経典を分類し研究する際に、インドまたは中央アジアの原典から翻訳されたのではなく、中国人が漢語で撰述(せんじゅつ)したり、あるいは長大な漢訳経典から抄出して創った経典に対して用いられた、歴史的な用語である。中国撰述経典という用語で表現される場合もあるが、同義語である。
沿革
偽経あるいは疑経として認定された経典類は、経録(きょうろく)中で「疑経類(偽経類)」として著録され、それらは大蔵経(だいぞうきょう)に入蔵されることはなかった。それに対して、正しい仏典として認定されたものは真経(しんきょう)として、大蔵経の体系を形成することとなった。
しかしながら、偽経あるいは疑経と認定され、大蔵経に入蔵されなかったとは言え、これらの経典群が消え去ることはなかった。むしろ、盛んに読誦され、開版されて、今日まで伝わる経典は数多い。『父母恩重経』(ぶもおんじゅうきょう)、『盂蘭盆経』(うらぼんきょう)、『善悪因果経』(ぜんあくいんがきょう)など、今日も折本形式で発売されている偽経類は、多く見られる。多くの経本に収録されている『延命十句観音経』(えんめいじっくかんのんぎょう)なども偽経の一つである。
このことは、偽経(疑経)というレッテルを貼られていても、時機相応の教説を説く、これら中国で撰述された経典類が、漢字文化圏において受容され得る力を持ち続けている証左となるものと考えられる。
因みに、インドで作られたと思われるものは、釈迦の直接の言葉ではなくても、偽経とはいわないという、おかしな論法になっている。つまりは、偽経というのは、仏教宗派間、あるいは、異なる宗教間における、『我』の張り合いであり、仏教者としては、してはならないことであろう。学者が、自説を優位にしたいために言う場合もある。あるいは、神道が仏教をけなす時(明治初期の排仏毀釈(はいぶつきしゃく)のように)、あるいは、古代印度において仏教と他宗教との論争において、あるいは、仏教各派が自宗の我田引水に用いる時である。つまりは、否定をする場合の格好の武器となっており、学問の発展には、無用な障壁となるものである。偽経という言葉はすべて、『後世、○○によって、作成せられたと推せられる』あるいは、ただ単に『○年成立』という言葉に置き換えたほうが、仏教の発展のためには望ましいであろう。
議論
「現在の日本のある宗派の所依の経典、つまり根本聖典が、偽経(疑経)であるから、当該の宗派の立場は仏教の異端である」とする別の宗派からの非難がなされることがある。 しかし、仏教経典と呼ばれるものが釈迦の教説をそのまま伝えているのではないことは、経典研究の結果、明らかとなっている。
東晋の釈道安(しゃく どうあん)の時代には、雑多に翻訳された漢訳経典を整理する上で真経と偽経(疑経)とを厳に区分することは、最優先事であった。
比較的最近に発表された偽経にまつわる説としては『般若心経』が中国撰述であるという説がある。米国のジャン・ナティエ(Jan Nattier)は、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅密経』などに基づき、玄奘が『般若心経』をまとめ、それを更にサンスクリット訳したという説を1992年に発表している。