中国の密教
中国においては、南北朝時代から、数は限られているものの、初期の密教経典が翻訳され、紹介されてはいた。その後、善無畏(ぜんむい)や一行(いちぎょう、いっこう)が『大日経』の翻訳を行い、さらに金剛智(こんごうち)や不空(ふくう)が『金剛頂経』(こんごうちょうきょう)系密教を紹介することで、本格的に伝来することになった。なかでも不空は、唐の王室の帰依を得て、させさまざまな力を得たことで、中国密教の最盛期をもたらすことになった。だがその後、武宗が廃仏を行ったため衰退した。そしてモンゴル系の元の時代以降はチベット系の密教が採用されることになった。
中華人民共和国では、唐代に盛んだった中期密教を唐密宗、現代まで続くチベット仏教における密教を西蔵密宗(せいぞうみっしゅう)と呼んでいる。前者は唐代以降は禅や浄土教の台頭、現世利益や呪術の面でライバルであった道教に押されて衰退・途絶した。後者は文化大革命などの政府の政策を乗り越えてチベット人を中心に現在もチベット密教の信仰が続いている。